いぶり障がい者花づくりネットワークの着地点


有限責任中間法人
いぶり障がい者花づくりネットワーク   代表理事 岩浅真純





過去の思い出

 いつの頃か、本業(造園業)の傍らで障がい者の方に私だからこそ出来ることはないかと考えていたところ、9年前の春、一人の障がい者がハローワークの紹介で訪ねて参りました。
それから少しして、ハローワークから地域の障がい者の雇用状況を伺った時、健常者にとっても厳しい世情の中で、障がい者には想像以上のことであることが分りました。その時から、障がい者の雇用がどうにもならないものかと真剣に考え、造園、土、花と考えていく中で、花苗の生産であれば危険は少ないし技術指導もできるので、それが障がい者の雇用の場となればと思い計画を立てました。


 そのための設備資金の膨大さに背丈以上のことは無理と断念しかけたところ、突然、新日鐵室蘭からラン栽培用ハウスの処分の話が舞い込んできたので、逃げ腰の私の背中をドンと押された感じがありました。
その時から、造園作業の合間をみては、そのハウスの移設と友人達の協力を得て、電気、水道、暖房の設備が完成しその年の秋、初めて障がい者を新規に3名採用し花苗の種を蒔くことが出来ました。


  しかしながら、作業開始と共に色々な問題が発生しました。
暑かったら上着を脱いだらと言うと、暑くないと言いそして脱水症状になる。
並んでいるポットに平均して水を与えられないので、注意をすると投げやりになる。
使用した道具を片付けられない、また、理由がないのに遅くまで就寝出来ず朝起きられないといった状況で、作業指導の前に生活指導が先と考えされられました。


 先ずは、「朝起きる」ことからスタートさせ、出勤させることとした。作業時間を割いては指導訓練を実施したことも度々ありました。この間、妻のふさ子は無休で必死に種蒔を続けておりました。
翌年、生産した2万4千ポットのうち、1万8千ポットは各報道機関の支援で完売できたが、6千ポットは商品にならず処分せざるをえませんでした。


 1年過ぎてから、採算ベースは1人当たり2万4千ポットを生産販売しなければならないことが分り、生産数アップのためハウスを増設したところ、次々と就職を希望してくる障がい者がおり、2年3年と経過する毎に造園で稼いだお金を全部注ぎ込んでも足りず、遂には私の給料は半分になり、ふさ子の給料は半分から最後はゼロになってしまいました。


 今も忘れないふさ子の言葉があります。
家に生活費をキチンと入れているのなら何をしても結構で、夫婦なんだから私も精一杯協力します。しかし、あなたのやっていることは異常です。
「喧しい!お前も足が無くなったら分かるはずだ」と罵声を浴びせると、「もうこんな生活嫌だ!」と言われ離婚話まで出てくる有様でした。


 このようなこともあり、7年前に全ての造園職人を退職させ、その労賃で障がい者の雇用維持に努めたり、私自身、全ての現場で先頭に立って共に作業をしました。そして、少しでも時間があれば営業に駆けずり廻っておりました。
このような中、地域の皆様はじめ各町内会、更には役所までが徐々に支援して下さり一歩ずつではありますが、生産技術の向上と共に売上も上向いて参りました。


 当初、資金がなく(株)ネットワークの生産部として開始した花苗生産でしたが、平成15年12月に「有限責任中間法人いぶり障がい者花づくりネットワーク」として法人化いたしました。

現在の状況

 昨年9月、創立以来初めての従業員家族を含めての総会を開催いたしました。
その時、本人の話、また、それを見守る親御さん達の話では、「まるで地を這うように精一杯生きているんだ」と言われ鳥肌が立つ思いで聞き入りました。そしてふさ子は、苦労の甲斐があり、感無量だったと涙ながらに話してくれました。
 

 現在、「いぶり障がい者花づくりネットワーク」に関わる者は14名で、毎朝、全員集合し廻り順で朝礼当番、すぐさま各自が持ち場の清掃を開始しピッカピカにしています。
夫々、得意とする分野でリーダー役も育ってきたし、皆、やる気満々で見事に体質が改善されました。
 

 経営的には、まだどん底からちょっと浮いたり沈んだりの状況ではありますが、近い将来、同様に改善されると信じております。
この度、独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構の助成で、素晴らしい機能をもったハウスが完成いたしました。温度の変化で自動的に天窓が開閉、自動種蒔機、自動ポット土入れ機、給水台等々最先端の生産ハウスです。これで、障がい者のハンディは相当解消されると信じております。
 

 従業員の家庭環境でありますが、戸別送迎システムによって全員の出勤状況は安定しましたが、弁当問題が発生しました。
両親が他界、また、病弱などで自分で弁当を作ってくる者がおり、やがて多くの者がそうなるのですが、現実問題として弁当の詰め合わせによる腐敗が分からない。いずれ、昼食だけでも提供したいと考えていましたが、昼食後のこと、腹痛の者が発生してしまい危険さえ感じたので、急遽、昨年の12月から昼食の提供を開始し私達夫婦もそこで共に昼食を頂くことにしました。
 

 先ず、「頂きます」、「ご馳走様」が言えない、食べた後始末も出来ない。腫れ物に触るような、家庭での躾では当然なるべき姿なのかも知れない、これが現実かと頭を抱える。
早速、食堂の中も生活指導の場として活用することにし、靴の脱ぎ方、手を洗う、頂きますの声と姿勢、食べ方、後片付け、等々等々、まるで幼稚園の先生です。
 

 優しくしても中々できないので、出来ない者は「飯抜き」と決定したところ、なんと一瞬にして変わりました。その変わった姿を家庭の中でも延長してくれればと期待しております。現在は、優しいおばさんが作ってくれる美味しい料理とアツアツのご飯を腹満杯にして全員が最高の顔です。

未来への想い

 さて、冒頭に述べたとおり「いぶりネット」の着陸地点です。
機長の私は、乗客を乗せて着陸地点も決めないままでこのまま飛び続ける気なのか?そう考える時、もし、ふさ子が3ヶ月入院していたらと考えると、空中分解し誠に無責任な機長であったかも知れません。
 

 従業員の体質改善の次は、「いぶりネット」の体質改善であります。
花苗生産は、設備と障がい者の二人三脚、そして専門指導員の配置で安定させ、更に、完全無農薬有機栽培のニュー野菜?(ハーブ類)を計画しており、将来的には、生産のみで10名以上の雇用の場が確保できると計画しています。
 そして造園作業です。造園は地べたに絵を描くようなもので、技術に加えて感性(素質)が要求されます。この度、全ての現場で作業をする中、施主さんから多くの話を頂いたところ、庭が完成した時は手入れもした。しかし、年齢を重ねると維持管理が大変です。
 
 私は、21歳で初めて作庭してから34年になりますが、新しい作庭は腕も騒ぐし心も高鳴る、それほど楽しい作業であります。まして、「いぶりネット」を発足してこの9年間は目先のことに無我夢中でした。調べてみたところ、この34年間で242件も作庭しそのうち継続しての管理委託は30%余りで、その他は、要望が無い限り結局ホッタラカシの状態でした。
 

 管理業務(剪定・除草・消毒等)ならば、今のメンバーをもう一段階向上することで可能ですが、それでも1日1ヶ所で242日もかかる軒数です。この業務は、心優しい者達が安価で丁寧にキチンとした仕事が出来れば必要とされると確信し、また、現役を退いた造園師を迎え入れ専門指導員として活躍をさせたいとも思っております。
 

 仕事とは、依頼した方も受けた方も双方が満足し、それが継続していなければ満足な仕事とは言えないのかも知れません。改めてこの事を教えられた気がいたします。これらの作業を充実させ、更に、10名以上の雇用の安定を図りたいと思っております。(合計20名以上)
 

 言うまでもなく、障がい者が作った者だから売れるという時代ではありませんが、障がいを持っての生活は、オリンピック選手にパラリンピックの選手が挑むようなものでありますので、従って教育(勉強)が必要となります。
 教育とは、どんな状況であっても生き抜くことを教える事と思っておりますので、
「ウソをつくな・インチキするな・ゴマかすな!」
これを教育の原点として、これからも変わることなく、障がい者の仕事を見つけて引き出して応援するつもりです。
 

 機長、現在55歳、着陸地点までの残り飛行時間10年と設定し、全員無事でステキな空港に着陸できるように全力投球する覚悟であります。 そしてまた、新しい機長の下で、更にステキな空港に向かって飛び立てばよく、長い旅、補給地点として、指導員の配置と職場の近くにグループホーム的な者を設置したいと考えております。
 

もし、私の足がこれ以上悪かったら今の仕事は出来なかっただろうし、満足であったら、私の性格であるから、きっと素暴になっていたと思う。この悪い足に感謝などとは絶対に思わないが、天は本当によくしたものと受け止めている。

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